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アダモロベ手話

アダモロベ手話は、ガーナ東部のアカン族の村、アダモロベで使われている、自然発生的に誕生した独自の手話です。アダモロベは、遺伝的な言語習得前の重度の難聴(遺伝的に劣性の常染色体によるもの)が、全人口の2%という非常に高い割合で現れることで知られています。この手話の使用者数は、聴覚障害者(ろう者)30人と健常者1,370人といわれています。エスノローグによれば使用者数は耳の聞こえる者も含め3,400人となっていますが、近年の調査では1,400人ほどとなっています。アダモロベ手話は身振り手振りや韻律的動作を西アフリカの他の手話とも共有していますが、この共通性は発生的な関係からきたものというより、この地域には身振り手振りに共通したものがあることからきていることが示唆されています。

手話で語る大切な言葉

アダモロベ手話の概要

アダモロベの村の耳の聞こえない子供たちは、マンポン=アクアペン(Mampong-Akuapem、Mampong Akwapim)の寄宿制学校に行ってアメリカ手話をもとにしたガーナ手話の教育を受けています。結果としてガーナ手話が第一言語となり始め、アダモロベ手話の役割は消えつつあるため、アダモロベ手話は絶滅が危惧される言語となっています。アダモロベ手話はこの環境の中から自然発生した視覚言語であり、ガーナの標準的な手話であるガーナ手話(アメリカ手話から形成されたもの)とは完全に独立しています。

アダモロベ手話の特徴

アダモロベ手話は、他の一般的に使われている手話とは異なる特徴をいくつも持っています。たとえば動作や位置の表現において分類詞の構造を欠いています。その代り、アダモロベ手話にはいくつかの動詞連続構造がみられます。この構造はアカン族の言語・アカン語にもみられますが、これは「西アフリカ一帯の市場に広く見られる交易用の身振り手振りによる動作が影響した」といわれています。こうしたことから、アダモロベ手話は交差言語的手話に関する興味深い事例となっています。エスノローグによれば聴覚障害者の割合は15%となっていて、過去にはこの割合は60%にも達したと考えられるています。こうしたことから、ろう者は地域社会で完全に受け入れられ、ろう者同士やろう者と健常者との間の意思疎通のために、アカン語とは独立した文法を持つ、身振り手振りなどによる手話が発生したといえます。住民はかつてろう者が村にいなかったことはないと語っています。

アメリカ手話

アメリカ手話とは、アメリカやカナダで使われている手話です。アメリカ手話はイギリスとは音声言語においてはほぼ同じ英語でありながら、イギリス手話とは全く違っています。その理由は、アメリカ手話はフランス手話から枝別れしてきた手話だからです。しかし、現在アメリカ手話とフランス手話はアルファベットをのぞき、ほとんど表現が異なっています。アメリカ手話は、平和部隊「Peace Corps」のろう者がボランティアとして各地でアメリカ手話でろう教育を支援したことや、過去に多民族国家のマレーシアやシンガポールのように現地で英語を第一言語とする聾教育政策としてアメリカ手話を取り入れたことも、アメリカ手話が世界に普及した原因の一つと考えられます。

アメリカ手話の普及

音声言語の英語が世界で最も広く使われる言語となってきているように、アメリカ手話も世界で最も普及されている空間言語になってきています。1817年、アメリカで初めて公立聾学校(コネティカット聾唖教育指導施設 アメリカ聾学校の前身)がコネティカット州ハートフォードにでき、そのときに使われた教育方法に、ホームサインとよばれる地元の手話に加えてフランス手話が用いられました。創立者の一人であるトーマス・ホプキンズ・ギャローデットがフランスに行って、手話法による教育を行っていたパリ国立聾唖学校で教育方法を1年間研修して、その後フランス人のろう教師ローラン・クレークを伴って帰国したことから、フランス手話がアメリカ手話に織り込まれるようになりました。1960年、ギャローデット大学の言語学者であるウィリアム・ストーキーはアメリカ手話を研究し、論文『手話の構造』を発表しました。これは手話は劣った言語ではなく、音声言語と変わらない、独自の文法を持つ独立言語であるという内容で、これをきっかけにして、手話を言語学として研究対象とする学者が増えました。

ニカラグア手話

ニカラグア手話(略称LSN、または略称ISN)は、世界で最も新しく誕生した言語とされ、また、歴史上はじめて学者たちによって誕生の瞬間が目撃された言語であるといわれています。ニカラグア共和国において、1970年代から80年代にかけて自然発生的に誕生した視覚言語です。ニカラグアにおける聴覚障害者との公式の意思疎通手段で、第一言語として定められています。ニカラグア手話はろう学校を通じて若い世代にも伝わり、その発展は以後も続いています。

ニカラグア手話の研究

ニカラグア手話の意思伝達手法の正体を確認するため、ニカラグア教育省は1986年、南メーン大学の手話言語学者ジュディ・ケーグルを招聘し、現地へと派遣しました。ケーグルらは、生徒たちに他の手話(特にアメリカ手話)を教えないようにしながら、この孤立言語が発達するさまを観察し続けました。ケーグルらが主導し、1995年からブルーフィールズやコンデガなど、別の町の学校へもこのニカラグア手話を浸透させようというプロジェクトが開始されました。

ニカラグア手話概要

ニカラグア手話の発見は、「人間が言語を生み出すための能力は、生得的である」というノーム・チョムスキーをはじめとする言語学者達の意見(「言語獲得装置」仮説)を裏付ける画期的なものとなりました。それまでは異なる言語の接触からクレオール言語が発生するありさまは研究されてきましたが、ホームサインと手真似以外のコミュニケーション手段がない無の状態から言語が発生したニカラグア手話は稀有な事例といえます。

フランス手話

フランス手話は、1750年代頃パリで世界初のろう学校を創立したシャルル・ミシェル・ド・レペー師が指導するために編み出した手話を元にしています。アメリカ人のトーマス・ホプキンズ・ギャローデットがろう教育の研修のためパリに滞在していましたが、パリ国立聾唖学校で教えていたフランス人のろうの教師のローラン・クレークを伴って帰国した後に、アメリカで初めて聾学校が設立され、フランス式の聾教育を行ったことから、当時ホームサイン性が強かったアメリカ手話はフランス手話に強い影響を受けて洗練され、やがて発達していきました。教育の現場では、従来のろう者が使う手話に加えて、フランス語を指導するために片手でするフランス語の指文字と手話が工夫されました。

アル=サイード・ベドウィン手話

アル=サイード・ベドウィン手話(略称: ABSL)は、イスラエル南部のネゲブ砂漠にあるアル=サイード村(ベエルシェバの東、ヨルダン川西岸地区の境界線から若干南)に住むベドウィン住民の間で使われている独自の手話です。この手話は1990年代末に人類学者の目にとまり、自然発生的に誕生した視覚言語として注目を集めました。

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